BFN.1

2021/05/28

「葉子ちゃん、あたし、余命宣告されちゃってさ。」

久しぶりの電話の先で、ひとみちゃんはそう言った。
2019年9月4日のことである。
7月半ばに大腸ガンの手術を終え、病巣は綺麗に取りきれたという報告を受けていた。
あとは快癒を待つのみ、と喜んでいた矢先の出来事だった。

こちらを慮ってだろう、サバサバとした口調で、時に笑いを混じえながら伝えてくれる。
ガンが肝臓に散らばっていること(もうね、草間彌生(のデザイン)状態さ!)、余命6ヶ月(もしかしたら、もっと短いかもね~)、抗ガン剤が効かない体質だから、治療せずにのんびり過ごした方がよいと言われたこと(温泉にでも行ったら、とか言うんだよ~!)。
不甲斐ないことに、私の方は、彼女を力づける言葉ひとつ思いつけずに、ただ「うん…うん…」と繰り返すことしかできなかった。ただただ悲しんでしまっていた。

しかし。
そうだった。
もちろん、それで温順しく温泉につかるような倉本ひとみではない。
彼女の闘志と、くすぶっていた音楽への情熱に火が点いていたのだ。

「それでね、あたし、やっぱり歌いたいと思うんだ。」

声が出る限り歌いたい!自分の音楽を形にして残したい!その為に力を貸して欲しい!
力強い口調で、彼女は一気に思いをぶつけてくれた。
私は、相変わらず言葉を見つけられずに、もちろん!もちろん!もちろん!と繰り返していた。

その時点で、このことを伝えられていたのは、ショウジと私の二人だけということだったので、まずは彼と連絡を取り合い、札幌に会いに行くことにした。

平谷庄至(以下、ショウジ)は、元Han-naのドラマーであり、ひとみちゃんとバンド時代を共にした古くからの仲間である。
現在は、押しも押されぬ人気バンドKEMURIのドラマーとして活躍中で、当時も忙しい合間を縫って奔走してくれていた。
Han-naのメンバーとしては最年少だが、私の見るところでは一番しっかりしている。
責任感が強く頼りになる男だ。
ドラムはもちろんのこと、そういう部分でもひとみちゃんからの信頼が厚かったのだろうと思う。

そうと決まれば、1日も早く会いに行きたいところだったが、ひとみちゃんの方では、やらなければならないことが山積みだった。
転院先を決め、住処を決め(旭川~札幌へ)、抗ガン剤治療を始めると共にデモ作りも始める、といった病人とは思えない行動力を発揮するうちに1ヶ月が過ぎ、ようやく引越し先に落ち着いたという10月頭、ショウジと私は、札幌に飛んだ。

to be continued…

ヒトミィク・プロジェクト 広本 葉子

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