BFN.7
2021/07/08
12月に入って、予定の10曲が出揃い、レコーディングのスケジュールも決まった。
そろそろ本格的に曲を煮詰める段階である。
連日、何往復ものLINEと電話で、アレンジや演奏について話し合う。
ギター主導の曲は、ギター陣に任せ、ピアノがメインの曲に関しては、私が指揮をとることになった。
スケジュールの関係で、そう多くはスタジオに入れなかったが、バンドの音も形になってきている。
ホリエさんは、忙しい中、早くも、打ち込みの2曲を聴かせてくれた。
バンドとはまた違う新鮮な音に、ひとみちゃんもアキも、大満足の様子だ。
体調の方は、抗がん剤の影響でアップダウンを繰り返しており、朝まで覚醒状態で作業している日もあれば、貧血や肋間神経痛で寝込む日もあった。
それでも、月半ばには再び、嬉しい知らせが舞い込む。
「やったよ!癌の勢い止まった!センセーも、驚いてたわー(笑)」
肝機能障害を示すLDHの値が、かなり高かったのが、正常値に戻ったという。
本当に、奇跡が起こるかもしれない。
「センセー」というのは、北大病院の担当医師。転院が決まった際、ひとみちゃんは、「本当に良い主治医に巡りあえた」と喜び、以来、このセンセーに絶大な信頼を寄せていた。
実際、彼女の意志をよく汲みながら、有効な治療を提案してくれるだけでなく、音楽への取り組みに対しても理解を示し、応援してくれていたようだ。
信頼できる医師と出会えたことは、彼女の闘病生活にとって、とても大きかったと思う。
良好な検査結果が続いたこの頃から、彼女の意識は、「急げ!急げ!」モードから、「時間をかけて良いもの創ろう」モードに変わってきていた。
それに従い、渡されるデモも、ピアノとリズムの簡単なものから、手の込んだものとなり、ギター(シンセで弾いた偽ギターである)やベース、そして、「倉本ひとみと言えば」コーラスが、ふんだんに入ってくるようになった。
元々コーラス好きなのは知っているし、初期のデモにも入ってはいたが、次第に、ファイルを開くとまずメインヴォーカルの在り処を探すくらい、コーラストラックが増えてきた。
(と言っても、今思えば、この頃はまだ序の口だった!)
このデモを作るのに、口角炎に耐え、腸ベルトを巻いて、1日何時間も歌っているのだ。
そう考えると心配でもあったが、どうも、その身に鞭打って作業している時の方が、体調が良さそうなのだから、不思議だ。「ムリしないでね」という言葉を飲み込んで、「頑張ってね」と言うしかない。
その頃、打ち込み作品を仕上げるべく、バンド陣に先んじて、ホリエさんとケイゾウが札幌入り、ギターダビングに臨んでいた。ホリエさんは、磊落な見かけによらず、緻密な音作りをする人だ。
その場には居なかったが、そのしつこい、否、妥協を許さぬリクエストに応えて、同じフレーズを何度も弾き続けるケイゾウの姿が目に浮かぶ。(事実、そうだった。とは、ひとみ談)
良いコンビである。
そして、年も変わろうという12月末、いよいよバンドレコーディングが始まった。
to be continued…
ヒトミィク・プロジェクト 広本 葉子
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