BFN.5
2021/06/22
次の週も、血液の数値は上がらず、抗ガン剤は延期となった。
「食欲もあるし、マジで元気なんだけどね~。」と、治療を受けられないことが、もどかしい様子。
実際、体調自体は悪くなかったようで、減る一方だった体重が少し増えた、と喜んでもいた。
そんな不安定な状況だったが、少し前から、ひとみちゃんの声は、どんどん出るようになっていた。
本人が一番驚いていたようで、「この前まで、Gでヒーヒー言ってたのが、Bまで出るんだよ!どうなってんの、私の体!」と笑っていた。
元々のポテンシャルが高いので、初期の仮歌も全く問題ないとは思っていたが、たしかに声の伸びや艶が増してきていたようだった。
このことには、病気とは別に、10年のブランクが関係していたのではないかと思う。
毎日歌い続けるうちに、声帯が鍛えられ、勘も戻ってきたのではないだろうか。
ともあれ、これは嬉しい誤算である。
いそぎ、すでに作業に入っている全ての曲を、見直すことになった。
キーを上げ、テンポを変え、曲そのものを練り直す。
キーやテンポを変えるのは簡単だが、それらが変わるだけで、曲の雰囲気や表現の仕方は、全く違ってくる。練り直すうちに、メロディーが変わって、ついには全く別の曲になったものもあった。
札幌と東京、どちらも時間に追われながら、各自の作業に邁進する日々だった。
そして、11月下旬、星さんが札幌入りされた。
星勝さんといえば、言わずと知れた、日本を代表するアレンジャー、大プロデューサーである。
小学生で、モップス「たどりついたらいつも雨降り」に衝撃を受け、中学の頃、井上陽水「氷の世界」を愛聴、大人になって映画「おもひでぽろぽろ」を観た自分にとっては、まさに雲の上の存在だ。
古希を越えていらっしゃる今も、現役バリバリで活躍されている。
(その偉大な業績の数々を紹介するには、ここではとても紙面が足りないので、皆さん、自分でググってください。)
ひとみちゃんは、Han-na解散後、星さんプロデュースの元、ソロアーティストとして活動していた時期があった。アルバムとシングルを、それぞれ一枚ずつ出している。
ショウジや私もライヴで関わらせていただき、一緒に食事に連れて行っていただいたりしたものだ。
あれから、30年近い時が流れた。ひとみちゃんが東京にいた頃も、その後お会いしたという話は聞かなかったし、少なくとも旭川に移住してからのここ10年は、おそらく連絡も取っていなかったのではないか。
その星さんが、ひとみちゃんの現状を知り、長い歳月を越えて、駆けつけてくださる。
そのうえ、コーラスで参加までしてくださるという。これはもう、すごい事である。
そして、やっぱり、、、愛だなぁ。倉本ひとみは、しあわせ者だ。
残念ながら、その場には立ち会えなかったけれど、変わらずお元気で、約束通り、素晴らしいコーラスを入れて頂いた。その後の食事会でも、たくさんの良い話をしてくださって、力をもらった、とのこと。
ヒトミィクプロジェクトもまた、大きな財産をいただいた。
それから、わずか数日後。嬉しい、嬉しい、知らせが届く。
to be continued…
ヒトミィク・プロジェクト 広本 葉子
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