BFN.20

2021/10/11

緊急事態宣言の発令によって、我々の意識も生活も、大きく変わった。
当時、私達はたしかに、未曾有の事態に危機感を募らせ、自身を強く律してもいたのだ。
ただ、今の私は、あの頃の気持ちをあの頃のままには、思い出すことができない。
感染者が三桁に届きそうだと憂いていたあの頃。
つい去年のことだというのに、なんだか遠い昔のようだ。

4月、5月のライヴは軒並み延期・中止となり、お世話になったライヴハウスが閉店した。
必要最低限の外出しかしなかったし、もちろん友達に会うこともない。
金銭的なことを含め、今後の生活に対する不安も大きかった。
しかし、その後、感染者は三桁どころか四桁を越え、それでもオリンピックは行われ、度重なる緊急事態宣言には何の変化もない。ついには、治療も受けられず、自宅で亡くなる方達が出る始末だ。
状況が次々と悪化していく中で、最初の緊急事態宣言下の日々は、既に、実感を伴わない朧げな記憶となってしまった。
(これを書いている今、感染者は減少傾向にある。ここへきて、いきなり減りだしたのが不審でさえあるが、少しずつ、日常を取り戻せるようになることを願うばかりだ。)

そんな中でも思い出されるのが、宣言直後の4月8日に飛び込んできた、北大病院消化器内科の医師が感染したというニュースだ。
まさに、そこで治療中のひとみちゃんは、戦々恐々として、朝からコールセンターに電話をかけ続けていた。ようやく電話が繋がって、担当医の無事と今後の治療に影響が無いことがわかったのは、翌日のことだった。ひと安心ではあったが、しばらくの間、ひとみちゃんは、病院怖いなー、行きたくないなー、とぼやいていた。そしてまた、自分のこと同様に、私達のことも心配してくれていた。

4/16、緊急事態宣言は全国に拡大され、北海道もその対象となる。
北海道では、独自の宣言を出して一時落ち着いていた感染が、この頃には爆発的に増えていたのだ。
それまでも、外出に不安を募らせていたひとみちゃんの方から、泣く泣くスタジオをキャンセルすることはあったが、とうとう河野音響も自粛休業、という事態になった。

とはいえ、ここで、立ち止まってはいられない。また、焦っても仕方ない。
外出できない分、自宅作業に向けられる時間は、たっぷりある。そう考えて、前向きに行こう。
という訳で、ひとみちゃんは、未完成の曲の再アレンジや新曲の構想に取り組み、私は本番のピアノを録り、ホリエさんはレコーディングが完了した曲のエディットで忙しくしていた。
加えて、なかなかアレンジが決まらない「Good-bye」に関しては、アキも交え、試行錯誤を繰り返していた。

ひとみちゃんは、「時間に追われないでアレンジ考えるのって、楽しい」と、案外のんきなことを言っていて、そんな言葉が聞けるのは、とても嬉しいことだった。
医学的根拠があるかどうかはわからないが、前回の検査結果から、今のひとみちゃんにはストレスが一番の大敵だと、私は固く信じていた。できる限り、笑って、楽しんで、毎日を送って欲しかった。

そして、プロジェクト始動から、ほぼ半年が過ぎた5月の連休のさなか、記念すべき一曲目、「CONCIENCIA」のTDが上がってきた。

to be continued…

ヒトミィク・プロジェクト 広本 葉子

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