BFN.44
2022/03/28
札幌に戻ったひとみちゃんは、疲れも出たのだろう、やはりあまり体調が良くないようだった。
そして、今振り返ると、その頃の体の辛さは多分、当時私が想像していた以上だったのだと思う。
2/4、この日の検査でもALPの数値は1000を越えた。
それまでずっと、弱音を吐かないひとみちゃんだったが、初めて「もうダメだなぁ」という言葉を口にした。そして、「あと4ヶ月は動けるって思ってたけど、その半分かもしれない」と。
たぶん今日が最後になると言っていた抗がん剤治療も、センセーの「なんとか効いて欲しい!」という思いを汲んで受けることにしたが、「副作用で時間が無駄にならなければいいんだけど」と、あまり乗り気ではないようだった。
「もう怖いものは無いからね、出来るだけ残りの時間を制作に回せるよう、頑張るよ。」という彼女に、「そうだね、頑張ろう。」としか返せないのが、辛い。
少し前まで、それこそ1%の可能性であっても、奇跡が起こるかもしれないという希望が、私の中にはまだあった。その希望が、日に日に薄れていくのを感じながら過ごす毎日だった。
そんな状況でも、この2月から3月にかけて、ひとみちゃんは、撮影・歌入れ・ラジオ出演・打ち合わせと、今までにもまして精力的に動いていた。
何かに熱中していた方が体が楽なんだ、と言っていた。
中でも、MVの撮影は、彼女の気力をアップさせ、楽しんで行える作業のひとつだったようだ。
ある日の撮影後、「あたしにとって撮影はまるでライヴみたいなものなんだ!と気付いたよ」と報告があった。嬉しそうだった。体はしんどくても、それを上回る充実感があるのだろう。
思えば、前年に企画されたライヴは結局実現しなかった。ひとみちゃんの体調が許したとしても、どのみちコロナ禍の中での開催は難しかっただろうが、このことは今でも本当に残念に思う。
もう一度ステージに立たせてあげたかった。そこで歌う彼女の姿を観たかったし、観せたかった。
だからというわけではないが、彼女が「自分にとってライヴみたいなもの」と感じていたMVを、たくさんの人に観て欲しいと願っている。
この頃、ひとみちゃんの一番近くにいて苦楽を共にしたのが、アキを除けば、札幌組の河野っちと大山監督だろう。
河野っちは、録音は元より、写真撮影などもやっていたようだし、大山監督に至っては、メイキング・ビデオとドキュメンタリーをという話から、いつの間にか、MVまで撮っている。
私の長年の経験からすると、おそらく二人とも、熱い思いを胸に突っ走る彼女に、存分に振り回されたに違いない。そして、これも経験からすると、時にはその無茶ぶりに手を焼くこともあっただろう。
だが、それも、ひとみちゃんの信頼と親愛の情の表れである。実際、彼女は「ここにきて、本当に良い相棒に恵まれた」と感謝していた。
札幌組の二人の存在は、この頃、古いつきあいの我々東京在住メンバー以上に、ひとみちゃんの支えになっていたのではないかと思う。
半ばには、シングルのサンプル盤が届き、「CONCIENCIA」のMVも出来上がってきた。
ビデオの中のひとみちゃんが、本当にカッコいい。
そして、2/22 、待ちに待った第一弾シングル「CONCIENCIA/Good bye 朱鷺」が発売された。
to be continued…
ヒトミィク・プロジェクト 広本 葉子
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