浜崎なおこ『INORI〜込められた想い』コメント掲載

2022/03/21

バンドブーム全盛の1989年。TVのパーソナリティを担当した縁で出会った倉本ひとみ(ヒトミィク)=ひとみちゃん。Han-naとReplica。共にバンドの紅一点ということもあり、時には悩みを打ち明けたり、励ましあったりした。当時、桜木町にあったHan-naハウスにもよく遊びに行って、朝まで呑んだり騒いだりした。面倒見の良い彼女は、私のピンチにはいつも「なおこ! 大丈夫だって!」と背中を押してくれた。 Replicaが解散した時も、頭も心もまるで真空になっていた私に「なおこ、大丈夫!とにかく 歌ってみな。そしたら何か見えるから!」と、彼女の地元・札幌のライブに招いてくれた。あの時の「とにかく歌ってみたら何か見える。」という言葉は、現在も私の支えになっている。

2019年秋。久々の電話。10年に渡る介護生活を終えたこと、そして自らも闘病し余命宣告されたことを静かに話してくれた。言葉を失った私に、彼女は穏やかに「死ぬのは怖くないんだ。」と言った。そして「ただ、もう一度音楽を創りたい。自信を持って世に出せるモノを。だけど、 途中で歌えなくなってしまったら、と思うと踏み出せない。もし歌えなくなったら、なおこが代わりに歌ってくれないかい?」と。チカラになれるならどんなことでもしたいと思った。そして、色んな感情が渦巻く中で即答した。「バックコーラスでも何でもやる。だけど、ひとみちゃんの歌はひとみちゃんが歌うんだよ!大丈夫、わたしがついてるから。」矛盾して聞こえるかもしれないけど、心からの想いだったのだ。それから1年半。ひとみちゃんは、凄まじい精神力と、艶と深みを増した歌声で、アルバム2枚分の素晴らしい作品を創りあげた。

プロジェクトが進行する中で、Replica時代に私が書いた“バレリーナ”をヒトミィクとしてプロデュースし、その新しい魅力を引き出したい、と申し出てくれた。 歌手としては、勿論、大・大リスペクトしているし、プロデューサーとしても素晴らしいヒトミィクの描く“バレリーナ”を、私も「歌いたい」そして「聴きたい」と思い、OKした。そして、見事に新しい表情の情熱的な“Ballerina”が誕生した。

2020年11月、ひとみちゃんから「なおこに歌って欲しい曲が出来たんだ。」と、“INORI”のデモ 音源が届いた。聴いた途端、心が震え、涙が溢れた。そして、とても大切な大きなものを託されたと武者震いした。 2021年4月、東京での最後のスタジオワーク。“INORI”のレコーディングを私は一生忘れないだろう。スタジオの分厚いガラスとヘッドホンに隔てられても、すごく静かに深く、私たちは繋がっていた。水が流れ込むように、それぞれのイメージが溶け合って、同じ世界を観ていた。あれは、とても不思議で穏やかな、特別な感覚。 思い返すと、私はいつも彼女の「大丈夫だよ!」に背中を押されていた。そして、私も「最後まで歌えないかもしれない…」という彼女に、何度も「大丈夫だよ!」と繰り返していた。 少しは支えることが、できていたかな。そうだったら、嬉しいな。
今も“INORI”を歌うたび、彼女はどこか近くに居て、深いところで繋がっている気がする。

浜崎なおこ

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